by chance? or by design?

先週からの引き続きで、by chance? or by design? のby chance? の方に目を向けます。

有機スープから、『とりわけずば抜けた分子が偶然(by chance)に形成され」、類似の分子が房状に形成され、次いで幾つものタンパク質分子からなる保護皮膜が、到底起こりそうにもない偶然によって(by chance)自らの周囲に身にまとい、生命をもつ最初の細胞が偶然に生じた、というのが、一般的な科学雑誌に取り上げられる論理です。
ここまでが先週。

先週前述のドーキンズ自身「空想科学小説を読むような気持ちで読むべきものである」と述べている通り、大抵の科学雑誌は無生の物質から生命の出現をどのように説明するかという途方もない難問を、至極あっさり扱っています。

ケンブリッジ大学動物学科のウィリアム・トープ教授は、「生命起源の方式を説明しようとして最近10年から15年の間に公表されてきた巧みな憶測や論議はすべて、あまりに単純過ぎ、ほとんど無意味なものであることが示されてきた。その難問は事実上少しも解決に近づいてはいないように思える」と述べました。

実際近年の爆発的な知識の増加は、生命を持つものと持たないものとの間の大きな差を一層はっきりさせたにすぎません。
単細胞の生物として知られる最古のものでさえ、計り知れない複雑さを秘めたものであることが知られるようになりました。

天文学者フレッド・ホイルとチャンドラ・ウィックラマシンゲは、「岩石の中に発見される、古代の種々の生命形態の化石化した遺物は、単純な始まりを示していない。したがって、進化の理論はしかっりした土台を欠いていることになる。」

情報が増すにつれ,顕微鏡的形態の生物でも信じられないほど複雑な仕組みをもつものがどのように偶然に発生したかを説明することは、いよいよ難しくなっています。

次回は、「原始的大気」によってアミノ酸を作り出した、1953年 スタンレー・ミラーによって行なわれた有名な実験について。

豊田